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江戸のメディア王「蔦屋重三郎」にみる文化とビジネス 東博で特別展開催中
2025年5月2日 20:00
東京国立博物館で、特別展「蔦屋重三郎 コンテンツビジネスの風雲児」が、4月22日から始まった。会期は6月15日まで。
NHKの大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」の主人公である、蔦屋重三郎(以下:蔦重)が、当時のメディア王に成り上がっていく足跡を、蔦屋が世に送り出した黄表紙や洒落本、狂歌本、浮世絵など約250作品を通して迫っていく。
会期:2025年4月22日(火)~6月15日(日)
会場:東京国立博物館 平成館(上野公園)
※会期中に一部作品の展示替えあり
なお展示室は、江戸の天明・寛政期の日本橋の様子が再現された附章「天明寛政、江戸の街」のみが撮影可能で、浮世絵作品などの撮影は禁止。 以下は、主催者の撮影許可を得たうえで掲載している。
ドラマに登場した作品の本物が見られる!
今展は、第1章「吉原細見・洒落本・黄表紙の革新」、第2章「狂歌隆盛 蔦唐丸、文化人たちとの交流」、第3章「浮世絵師発掘 歌麿、写楽、栄松斎長喜」、そして附章「天明寛政、江戸の街」で構成されている。
NHKの大河ドラマは、記事執筆時点で第16回「さらば源内、見立は蓬莱」までが放映済み。今展の第1章では、既にドラマで放映された、または進行中の内容に沿った、遊郭・吉原に関連する資料が見られる。
まずは、当時の浮世絵を参考にして江戸時代当時の推定サイズで再現された、吉原の大門(おおもん)をくぐって展示室に入っていく。この大門は、実際に「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」の撮影で使われたもの。さらに進むと、会場の中央には桜並木が作られていて、ここが遊郭・吉原のメインストリート、仲之町をイメージしていることが分かる。
蔦重は寛延3年(1750年)に、幕府公認の遊郭である吉原で生まれた。彼の出版人としての活動は、吉原のエリア情報誌「吉原細見」の出版に携わることから始まる。安永2年(1773年)、22歳の時に、吉原大門の前に書店「耕書堂(こうしょどう)」を開業した。
第1章の前半では、蔦重が吉原に店を構えていた当時の軌跡を辿る。例えば、これまでの「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」で登場した、風来山人こと平賀源内が記した《細見嗚呼御江戸 序(さいけんあゝおえど)》、礒田湖龍斎筆の《雛形若菜初模様》、北尾重政が描いた《一目千本》や《青楼美人合姿鏡》など、おなじみの作品の数々も展示されている。ドラマで蔦重が作り、当時のクリエイターが書いたり描いたりしたものを目の前にすると「あぁ、本当に彼らは江戸の時代に生きていたんだ」と、改めて実感できる内容だ。
特に《雛形若菜初模様》は、礒田湖龍斎が遊女を名前入りで描いた、豪華な錦絵。版元は西村屋与八で、100枚を超える人気シリーズとなった。蔦重はシリーズ刊行の最初期にだけ関わったと見られている。
ドラマでは、遊女の瀬川と一緒に原案を考え蔦重が執筆し、朋誠堂喜三二(ほうせいどうきさんじ)が手直ししたことになっている《伊達模様 見立蓬莱(だてもよう みたてほうらい)》もチラッと見られる。実は当作は作者不詳ということを、当展の出品リストを確認して知った。
いずれにしても、その吉原通(ツウ)の朋誠堂喜三二との出会いにより、蔦重は戯作界へと事業を本格展開し始める。それと同時期に、当時流行していた浄瑠璃の台本(正本)や教科書(往来物)など、安定的な収益が見込める分野にも展開していった。
ドラマでも、大人気の浄瑠璃の太夫、富本午之助を吉原をあげて接待して仲間に引き込んでいった。そんなことが実際にあったのかもしれないと、展示されている浄瑠璃の台本(正本)などを見ていると、思ってしまう。
大流行した狂歌で人脈を広げた蔦重
第1章の後半は、まだ大河ドラマで放映されていない、蔦重が出版した様々な書籍が展示されている。解説を読みながら、これからの大河ドラマに、誰が書いた、どの作品が登場するのか、予習するように見ていくと面白い。
さて、蔦重が活躍した江戸の天明期(1781〜1789年)は、江戸で狂歌が爆発的な人気を博していた。狂歌とは、和歌と同じ五・七・五・七・七の形式で、日常の出来事をコミカルに詠み、または社会を風刺したシニカルな歌を詠んで楽しんだ。
そんな狂歌をシェアするために、武士や町人、役者や絵師ら様々な階層の人たちが各所で集まり、今でいうサークルやクラブに近い「連(れん)」を作っていた。
蔦重はそうした世界に、狂歌師「蔦唐丸(つたのからまる)」として参加する。流行りに乗って狂歌を詠んでいたのだろうが、そこで彼は当代一流の文化人たちとの人脈を広げていくのだ。
その中には、御家人であり有能な官吏でもあった四方赤良(よものあから)こと大田南畝をはじめ、朱楽菅江(あけらかんこう)、唐衣橘洲(からごろもきっしゅう)の、狂歌界の三大スターもいた。
蔦重は、まず彼らが詠んだ狂歌を集めた狂歌集を出版。さらに、文字だけで編集されていた従来の狂歌本に、喜多川歌麿などの絵師の描いた絵を添え、付加価値を増した「狂歌絵本」を生み出した。こうして敏腕マーケッターや編集者、もしくはプロデューサーとしての手腕をいかんなく発揮していく。
展示では喜多川歌麿が、虫や鳥などを写実的に描いた美しい作品が並んでいる。例えば撰者が赤松金鶏の《百千鳥狂歌合(ももちどりきょうかあわせ)》には、「まめまはし(まめまわし)」と題された朱楽菅江(あけらかんこう)の一首が記されている。
「忍のに いらざる口の まめまはし つゐさえづりて 名やもらすらむ」
「まめまはし」とは、口が軽いとか、おしゃべりといった意。そして歌は「口の軽さをこらえきれず、ついポロリと隠しておくべき名前までしゃべってしまうのだろう」といった意味だ。この狂歌に、喜多川歌麿が描いた、芸術性の高い鳥の画を添えていることで、おかしみが倍増した……のかもしれない。
もう1点、東京国立博物館で展示されるのは初めてではないかと言われる、喜多川歌麿が描いた春画《歌まくら》。横大判の12枚の錦絵が展開される作品だが、ほかのページは、まさに春画という雰囲気。展示されているページには、茶屋の二階座敷の男女が描かれている。
男性が持つ扇子に書かれているのは……
「蛤(はまぐり)に はしをしかっと はさまれて 鴫(しぎ)たちかぬる 秋の夕暮れ」
意味は「蛤に箸をガシッとはさまれて、驚いた鴫が飛び立つように逃げ出す、そんな秋の夕暮れ」という、おそらく下ネタ。蛤と箸それに鴫が、それぞれ何を隠喩しているかを考えて読み直すと、ニヤッと笑える。こうした、京坂から江戸に下ってきた上品な下りものとは異なる、江戸で地産地消された下らないものも、蔦重コンテンツの真骨頂だろう。
世界的アーティスト、喜多川歌麿の作品が目白押し
第3章「浮世絵師発掘 歌麿、写楽、栄松斎長喜」では、いよいよ「浮世絵と言えば、これだよね」といった作品が展開されていく。フィーチャーされるのは、蔦重と同時代に活躍した絵師や版元たち。大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」で登場する人物たちの仕事っぷりが、さらに身近に感じられるような展示だ。
トップバッターを飾るのは、今や世界で知られる浮世絵師の一人、喜多川歌麿。それまで美人画は、立ち姿など頭から足の先まで、すらりと全身を描いて表現するのが一般的だった。一方で、喜多川歌麿が流行らせたのが、人物の顔を大胆にクローズアップした「大首絵」の構図だ。
当時の上流階級とも言える武家、それも旗本の出身の絵師で、喜多川歌麿などと同時期に活躍していたのが鳥文斎栄之(ちょうぶんさいえいし)。気品のある画風で、最高位の遊女を多く描いたほか、古典題材を取り入れた浮世絵を描き、上流階級からの名声を博した。
その鳥文斎栄之を多く起用したのが、《雛形若菜の初模様》のシリーズで知られる、版元の西村屋与八。蔦重とは錦絵のライバル同士でもあり、競い合うことで浮世絵の黄金期を盛り上げた。
喜多川歌麿は、蔦重のもとだけで描いていたわけではない。例えば、「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」でも既得権益者側として登場している、版元の村田屋治郎兵衛のもとで描いた作品も並ぶ。ちなみに村田屋は、蔦重の没後の享和2年(1802年)には、十返舎一九のベストセラー「東海道中膝栗毛」を刊行している。
今の芝大門あたりの芝神明前三島町で営業した版元、若狭屋与市の元で描いた《当時全盛美人揃(とうじぜんせいびじんぞろい)》は、「七分身像」という新たな構図で、吉原の遊女を描いた。
今回の展示では、作品に添えられている解説パネルに、絵師や著者の名前だけでなく、版元まで記されている。そんな版元たちにも注目して作品を鑑賞すると、より面白みが増していく。
いよいよ謎の絵師、東洲斎写楽が登場
会場を移して第3章の後半では、鳥居清長や勝川春英、栄松斎長喜、はたまた勝川春朗(葛飾北斎)など、蔦重がプロデュースした絵師が続く。だが、ここで注目したいのはなんといっても東洲斎写楽だろう。
活動期間は、わずか10カ月。140点を超える作品を残した後、忽然と姿を消した絵師だ。久しく謎の絵師とされていたが、今では阿波の能役者・斎藤十兵衛というのが、ほぼ定説になっている。
解説によれば、東洲斎写楽の特徴は、役者を理想化して描くのではなく、顔の特徴をすべて暴き出したリアルな表現にあるという。そのリアリズムは人々に衝撃を与え、今でも浮世絵師を代表する一人として挙げられる。
東洲斎写楽の作品は、会期の前後期あわせて40点が一斉に展示される。これだけ多くの写楽作品を、筆者が見たのは初めてのこと。展示では、東洲斎写楽の作品群を4期に分けて丁寧に解説されている。後期には多くが展示替えされるため、そうした解説をじっくりと読みながら、もう一度巡り直したいと感じた。
蔦重が歩いた江戸の日本橋を再現
第3章の写楽の部屋をあとにすると、蔦重が生きていた江戸の天明・寛政期の日本橋の世界が広がる、附章「天明寛政、江戸の街」に抜ける。
天明3年(1783年)に、日本橋通油町(今の中央区大伝馬町)に耕書堂を移す。蔦重33歳の頃だ。日本橋通油町といえば、出版の師匠ともいえる鱗形屋孫兵衛をはじめ、鶴屋喜右衛門や西村屋与八などの老舗版元が軒を連ねる。今後、大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」の後期で描かれることになる世界観を、同展で先取りできるのだ。
特別展「蔦屋重三郎 コンテンツビジネスの風雲児」は、江戸時代中期にトレンドを巧みに取り込みビジネス展開していった、当時のメディア王・蔦屋重三郎を中心に、江戸文化を深く知ることができる展覧会だ。もちろん大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」を視聴している人にとっては、その世界観をよりリアルに感じることができ、今後のドラマ鑑賞をさらに楽しめるだろう。
なお、同展が開催されている東京国立博物館の平成館では、大正から昭和初期に、伝統的な木版画の技法で浮世絵に代わる新しい芸術を生み出そうとした新版画の特集、「新版画―世界を魅了する木版画―」も組まれている。
同特集では、スティーブ・ジョブズが愛したという、川瀬巴水の多くの作品が見られる。こちらも忘れずに見ておきたい。